本気なら、急いでみせよ、インクルーシブ

(残念なことに、字余りでした。そして、カテゴリーもこれでよいのやら……)

県立高校改革の一つとして掲げられた「インクルーシブ教育の推進」。
2016年度、県下3校――足柄、茅ヶ崎・厚木西がインクルーシブ教育推進のパイロット校として県教委から指定を受けました。

「インクルーシブ(inclusive)」というのは「包括的な」と訳せます。
よって、表面的な言葉を使えば、「インクルーシブ教育の推進」というのは「障害のある児童生徒もない児童生徒も、同じ空間で授業を受ける」ことを着地点とした取組なのです。

南足柄市では足柄高校と連携して、高校のおひざもとである足柄台中学区の小中学校3校が、支援員を入れながらインクルーシブ教育に取り組んできたところです。
県からの地域研究委託事業は昨年度で終わりましたが、その取組は継続し、さらに市内の全小中学校に拡大していく予定だそうです。

インクルーシブ教育推進の現状

7月30日、南足柄市文化会館で「インクルーシブ教育推進フォーラム」が開催されたので、かねてから地域の高校の取組に注目をしていたパートナーとともに参加しました。

第1部で県教委によるインクルーシブ教育推進に関する簡単な説明と、実践報告として足柄台中学区3校と足柄高校の取組の発表がありました。
第2部では、かつては平塚ろう学校の校長として赴任されていたこともある、県のインクルーシブ教育推進に尽力されている、鎌倉女子大学准教授の伊藤大郎先生によるフリーディスカッションが行われました。

フォーラムの様子と、塾屋としての見解は、彼のブログを参考にしてください。(他力本願ですみません……)https://keishinkan.jp/post-12260

「障害は環境によって発生する」

伊藤先生の言葉が、このようなことをおっしゃっていました。とても印象的で、深く心に残っています。(もちろん抜粋なので、私のフィルターがかかっています。ご了承ください。)

障害は環境によって発生します。だから、支援は「人」ではなく「場面」につけるものなのです。「障害者」を支援するのではなく、「障害」に対して支援しなければなりません。
津久井やまゆり園で凄惨な事件がありました。
だから、障害者のことをもっよく知ろう!――というのが、一番危険なのです。
「障害者」のことをよく知るのではなく、「障害」のことをよく知るべきなのです。

例えば聾の人は、読書のときには障害は発生しません。物を食べているときにも発生しません。音を聴かなければならない環境で初めて障害が発生するのです。
肢体が不自由な人も、みんなでお話をしているときには障害は発生しません。映画を観ているときにも発生しません。手や足を動かさなければならない環境で初めて障害が発生するのです。
私も、ものを暗記するのが得意ではありません。何か覚えなければならない環境で、小さな障害が発生するのです。
同じように、音痴の人だって、カナヅチの人だって、手先が不器用な人だって、人の気持ちが読めない人だって、それぞれの苦手をしなければならない環境に遭遇したとき、誰でも障害と感じるのです。

程度の差こそあれ、みんな当事者なのであり、「障害者を知ろう!」と言ってしまったとたん、そこに健常者と障害者という線引きがなされ、しかも自分は健常者の側であるという意識が働いているということだそうです。

インクルーシブ教育を本物にしていくために……

第2部のフリーディスカッションで、市外に住まわれている、おそらく学習障害をもつ子どもの保護者から、少人数および習熟度別クラスを要望する意見が出されました。
1クラス40人近くの児童生徒を先生1人で見ている。でも、クラス内の学力は点でバラバラ。結局、先生の提供する授業レベルにぴったり合った子どもたちしか理解できず、また満足せず、授業は先に進んでいく。もう少し、子どものレベルに合わせた授業にしてくれれば、たとえ全部はわからなくても自信はつくのに……。

足柄高校の学習面に関する取組の中には、習熟度別・小集団学習(に加え、必要に応じてティームティーチング)、さらに個別教育計画の作成があります。
また、インクルーシブ教育が普及しているヨーロッパの国々には、少人数制クラスはもちろん、飛び級や留年の制度が当たり前として機能しているところもあります。

こうしたシステムの違いから考察し、必要なものを不足なく取り入れてこそ本物のインクルーシブ教育が機能していくはずです。現在の接ぎ木状態の制度で、どの程度本物のインクルーシブに近づけるのか。
県教委は、お金と人のことを考えると前に進めないという理由で、今いる先生が努力&協力することを望んでいます。

教育分野においてやらなければならないことは県も市町にも市町村にもたくさんあることは理解していますが、子どもたちが学校で学べる期間は、長い人生の中でたった十数年間です。
インクルーシブ教育が理想の教育の姿であると本気で考えているのであれば、予算も人も本気でつぎ込んで、できる限り早く実現していかなければならないのではないでしょうか。