座っていても、お茶は出てきませんよ。

私は昭和56年生まれだから、物心ついたときから男女共修(学校教育で男子も女子も同じカリキュラムを履修するということ)。
中学校では男子も女子も技術と家庭科を習ったし、高校の体育では男子も女子もダンスか柔道を選べました。(←もちろん私は柔道を選択。)

でも、よくよく調べてみると、それが当たり前になったのは1993年(平成5年)のことだったようです。(ちなみに、家庭科教育の歴史がよくわかりそうな興味深い論文を見つけました。→家庭科教育の変遷―教育課程における女性観の視角から―

夫が料理に目覚めた!

夫は私の1つ上なので、小学校から高校まで家庭科の授業を受けてきた同世代です。

じゃあ、当たり前のように料理をしているんでしょう?――いいえ。やっとここ2、3年で朝食やお弁当を作ってくれるようになりました。

この間は社協主催の「おやじの料理教室」で出汁の取り方を習ってきたというので、私がほんだしを鍋にぶち込んでいる脇で、昆布とかつおぶしをコトコト煮出していました。
いつか、竹松のBean’s villageみたいなランチを作れるようになりたいんだそうです。さらに、いつか山小屋のオーナーになって、登山客においしいごはんを振る舞いたいんだそうです。

↓「おやじの料理教室」で作った鮭のホイル焼き&肉じゃが&だし巻き卵&お吸い物(提供:夫)

↓ 自宅で披露した鮭のホイル焼き

座っていても、お茶は出てきませんよ。

男女共修で育ったが最近料理をするようになった夫が、料理教室でびっくりしたこと。

定年まで一度も(!?)包丁を持ったことがない「おやじ」さんがいたというのはあるあるとして、料理教室の最後の実食タイムで、目の前に食事が並んだら、椅子に座ってじっと待っている「おやじ」さん多かったということです。お箸やお茶がまだそろっていないのに……。

教育は人の価値観をつくるもの

価値観は自分で作り上げるというよりも、環境とりわけ学校や家庭という教育機関が形成していくものです。だから、お箸やお茶を自分で用意できない「おやじ」さんが悪いのではなく、お箸やお茶は待っていれば女性が出してくれるものだと思わせてしまう、「おやじ」さんを作った教育に責任があるということです。

家庭科が高校まで男女必修になるまでは、かなりの紆余曲折があったようです。
戦後、教育課程をつくる文部省や有識者が当然のように「男子は仕事、女子は家庭」という性別役割分担を踏襲していたのだから、致し方ありません。

1979年の女子差別撤廃条約の採択などを通じて国際的な機運が高まって以降、すこーしずつ、すこーしずつ、日本人にも男女平等という価値観が広がりました。今では学校でも出席番号は男女ごちゃまぜだし、児童・生徒を一律「○○さん」と呼ぶようにしています。(それでもなお、「女の子には優しくしなさい」だとか「男の子なんだから我慢しなさい」という指導の仕方は残ってしまっているようですが……。)

だから、もう少し時間が経てば、今より進歩した男女平等観を多くの人が持つようになるでしょう。でも、そのためには、価値観を形成する教育の過程で、決して手を抜いてはいけません。

いつか、女性のもとへ「おやじ」さんが自然にお茶を入れて持ってきてくれる食卓になりますように……。