道草のすゝめ

南足柄のプレイパークや学童に携わっている人たちと話題に上る、暇な時間の大切さ。
昨今、大人より忙しい子どもたちが増えています。もちろん、学習塾もその要因の一つとなっているわけで……だから今回の問題提起はちょっと自虐的です。

どんぐり山で遊んでみた

ちなみにプレイパークとは、子どもたちが既設の遊具や遊び方に縛られず、道具やルールを自由に変えて、自分たちのアイディアとスタイルで楽しむことができる遊び場のことです。大人たちは基本的に子どもたちの遊び方に口を出さず、子どもたちの火や刃を使った作業も、高さを伴う遊びも見守ります。
子どもたちが遊びを通して創造したり、発見したり、挑戦したりする喜びを味わえる、というのがプレーパークの醍醐味だそうです。

南足柄でも定期的に実施されています。私も先月、岡本コミュニティーセンターの裏山で実施された、みなみあしがら子どもの遊び場づくり主催の「どんぐり山で遊ぼう!!秋編」でちょこっと遊んできました。もとい、子どもたちの遊ぶ姿を目の端っこに入れつつ、ダベって食べてきました。(近所のおじさんが栗を持ってきてくれたり、賞味期限の間近の非常食を施設が寄付してくださったりで、食料が豊富だったので……)

現代っ子は忙しい!

私の子どものころは、学校帰りに道草をくったり、何をするか決めないままチャリンコで河原まで行ったりしました。
川岸に生えている植物をむしってみたり、花の蜜を吸ってみたり、川に石を投げてみたり、土の中からミミズをほじくり返してみたり、空を見上げて雲の流れをぼーっと眺めたり…。もちろん一人でもしましたが(根暗!)、その無駄な時間に付き合ってくれる暇な友達も当時は大勢いたのです。

ところが、現代っ子の多くは学校が終わると足早に帰路につき、寄り道もせず自宅に直帰。素早く身支度を済ませ、習い事や塾へ。それが多い子は週に7日!(同じ曜日に習い事を2つ掛け持つ子さえいるのには驚きです。)
子どもたちは与えられたプログラムや課題をこなし、時間になったら家へ帰っていくという毎日です。

それが原因なのか、どうやら昔に比べて植物や動物、天体に対する知識が少なく、理科の授業でトンチンカンな答えを返したり、どこか他人事で、身近なものとして知識を落とし込めなかったりするようです。

諸学の基礎は哲学にあり

理科の分野に限らず、目の前にある物をゆっくり観察したり、目に見えない事をじっくり考えたりする機会が少ない世の中になっているような気がします。

わが母校の創設者である井上円了が「諸学の基礎は哲学にあり」と言っていますが、哲学――事物の本質を考え抜くことは、どんな分野であれ研究をすることの基本であるように思います。その探求心というか忍耐力というかがなくて、人はどうやって学問を修めるのでしょうか。どうやって創造力を身につけるのでしょうか。

今はネットを開けば大体の疑問は解決します。答えがすぐに画面上に出てきます。だから、答えのない問題を考えるなんて面倒臭い!そして、先述のとおり、そんなことをしている時間などない!

だから、特に子どものうちは、哲学レベルは低くても構わないので、それが十分にできるだけの時間の余裕を与えたいのです。それで培われる探究心や忍耐力、創造力は、机に向かって答えのある問題を解いているだけでは決して補いきれません。

AIに人の居場所を奪われる前に、もっと道草をしましょう。